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1910年の韓国併合から100年になる。日露戦争後の世界で日本はどのようにして大韓帝国を併合したのか。その後35年に及ぶ植民地支配や、戦時動員の実態はどのようなものだったのか。さらに戦後の関係改善はどのように行われていったのか。5回シリーズで日本と朝鮮半島の100年の歩みに迫っていく。
第1回は、1910年の韓国併合。その歴史的評価をめぐって、今も日韓の間で議論を呼んでいる。その中心人物・伊藤博文について、最近、新資料が発掘された。伊藤は欧米列強との協調を重視し、一種の「自治植民地」も構想していたというのだ。
しかし、1905年、日露戦争の勝利を受けて、伊藤が韓国を保護国化した第2次日韓協約を結ぶと、大韓帝国皇帝・コジョン(高宗)と対立する。1907年、コジョンはオランダ・ハーグで開かれた万国平和会議に密使を派遣。協約が自らの意志に反すると訴えようとした。しかし、英米だけでなく、議長国ロシアも外交方針を転換、日本と協約を結んでいた。
このハーグ密使事件を機に、伊藤がコジョンを退位させると、激しい義兵闘争が起こる。そして、1909年、伊藤はアン・ジュングン(安重根)により、ハルビンで暗殺された。アンは獄中で「東洋平和論」を執筆、韓国、清、日本が「みな自主独立して行くこと」を考えていた。しかし、日本は韓国併合から大陸進出へと歩み出していった。
伊藤博文とアン・ジュングン、二人の軌跡を新資料で描き、韓国併合への道を国際的な視点から明らかにする。
第1回 韓国併合への道伊藤博文とアン・ジュングン
第2回 三・一独立運動と"親日派"
第3回 戦争に動員された人々~皇民化政策の時代~
第4回 解放と分断 在日コリアンの戦後
第5回 日韓関係はこうして築かれた